絵解き曼荼羅 二、日没を観る
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第一章では、インドの王舎城で起きた悲劇、即ち王子が王と后を殺害しようとした、まさにこの世の地獄ともいえる苦しみ悲しみのお話をしてまいりました。
その中で、何とか生きながらえた后のイダイケ夫人は、お釈迦さまに「この世の苦しみから離れ、清らかな国へ往き生まれたい」と願われました。
お釈迦さまは微笑んで、その場で阿弥陀さまのいらっしゃる極楽浄土をお見せになりました。そして「極楽浄土を想い浮かべる時は、このように連想しなさい」と、心静かに極楽浄土を想い描くことをお勧め下さいました。
そのための十三の方法が、今から始まる第二章、「定善十三観」です。まんだらの左の縁(向かって右側)に並んでいる絵を「定善義」と言います。全部で十三の絵がありますので、それらを「定善十三観」といいます。これは、上から下へと順番に並んでいます。
まずは一番上の日想観からお話ししましょう。
一番上の絵は「日想観」です。これは、太陽が西に沈む様子を描いています。なぜ沈む夕日を想い描くのかといいますと、次の三つの意味があるからです。
一つ目は、阿弥陀さまの極楽浄土は「西方」にあるからです。お日さまは、例外なく東から昇り、西に沈みます。沈む夕日の向こうには、西方極楽浄土があるのです。ですから、それを心に想い描く事で、つねに極楽浄土を想い浮かべることができるのです。
二つ目は、私たちが抱えている「罪」を知るためです。夕日にはよく雲がかかっています。この絵にも黒・黄・白の雲が夕日にかかっています。このことは、私たちが阿弥陀さまを素直に信じる気持が、煩悩や悪い行いによってさえぎられていることを表しています。
しかし、どんなに雲がかかっていようと、その向こうでは、いつも太陽が光輝いています。阿弥陀さまが、私たちを見捨てたりされることはありません。その深いお慈悲の心を知りなさい、というのが二つ目の意味です。
三つ目は、阿弥陀さまのお姿を知るためです。阿弥陀さまは別名を「無量光仏」とお呼びします。はかり知れない光に包まれた仏さまです。ですから、お日さまの何万倍も輝いている阿弥陀さまを心に想い描くために、日没の姿を拝むのです。
これが沈む夕日を想い浮かべる日想観です。
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