絵解き曼荼羅 二、私が生まれる姿を観る
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第十二番目は、「普観」です。ここでは、私たち自身が極楽に生まれる姿を想い浮かべます。
極楽の宝地から蓮の茎が出ています。つぼみが開花し、その中に人が座り、光明に照らされ、多くの仏さまに囲まれています。こうして善人も悪人も、すべての人々は差別なく平等に生まれていくのです。
この絵において、池の三重の蓮華に座し、合掌し、念仏しているのはイダイケ夫人です。これは、とりもなおさず私たち自身が往生した姿でもあります。
手前の橋は、娑婆から極楽への橋です。この橋こそ「念仏」そのものです。
左右の帯のような光は、阿弥陀さまの光明で、私たちを照らしてくださっています。また、左右の雲に乗っておられる仏さまは、私たちが極楽世界に往生できるように常に護って下さることをあらわしています。
第十一観までは、お浄土のようすを、宝地・宝樹・宝池・宝楼・華座等と、色々に想いをめぐらしてきました。それらは、少し縁遠いものと感じられたかもしれません。しかし、この第十二観には、私たちが往き生まれるべき極楽浄土が、一つにまとめて描かれているのです。
この絵は、臨終の時を示しているわけではありません。お念仏により、この身このままで極楽にいるようなやすらぎが得られることをあらわしています。
これが、私たち自身の往生の姿を観る普観です。
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